
「人生は死ぬまでの暇つぶし」という価値観[プー日記6/2]
この言葉を聞いたのはいつで、誰の言葉だったか覚えてないんだけど、
母を亡くした中学校のときにとても共感した覚えがある。
というか、今も結構そう思う。
なーんでこんな急にセンチメンタルになったのかというと
昨日見た映画
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い (字幕版) が
親を9.11でなくした子の話で、主人公オスカーが父親と最後に話せなかったことに悲しさ、寂しさではなく罪悪感を抱えているというシーンがあって、
中学の時の自分をつい重ねてしまったから。
突然いなくなってしまった人の最後の言葉は、良くも悪くも、ずっとずっと、心に残る。その残り方が、この作品はあまりにも悲しかった。
僕は最後に母親にかけられた言葉は学校に行く時にかけられた「気をつけて」だった。「んー」としか返事しなかった。それをずっと後悔している。だから僕にとって「気をつけて」という言葉は少し特別な響きがあり、少し悲しい。
「いつ死ぬかわからない。」
中学二年生、学校に行っている間に母が死んだことで、
こんな当たり前の事実が僕の人生にめちゃめちゃ強くインストールされた。
「死」というものについて考え、
そして、生きることの意味についても考えることが増えた。
年齢が年齢だっただけに、中二病的な思想が加速してしまったんだけど
いろいろ考えた結果、
意味、ねーなぁ。
という結論になった。意味があるならば、母の存在の意味は僕たち家族を作ったことになるのかもしれないが、急病がなければ、もっとたくさんの意味を「作る」ことができただろうから。病気はただの不運だった。
意味を持って生まれてきた、なんてことはなく、
「意味を作れる」
これが人間ができることなんだろうな、と思った。
だから当時、母という存在の意味、僕自身の人生に意味を持たせるために、母の死をきっかけに自分の夢をかなえるための行動を起こした。
美大進学のための予備校をネットで調べて、
電車とバス乗り継いて体験入学しに行ったあの日。
あそこから僕にとっての「母の死」に意味が生まれたんだろう。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
人生に意味なんかないんだから、ある意味これ、合ってるよな。
でも
「意味は作れる」
そうすれば結構、人生は面白い暇つぶしになる。
面白くできるかは、自分次第。
面白いとは、感情がふるえるような体験のことだと思う。
僕にとっては、面白いマンガを作ることがそれにあたる。
僕の人生を面白くして、誰かの人生も面白くしてあげたい。
そこまで書いて、あ、なんか高杉晋作っぽいな、と思ったので、最後にこの句を。
おもしろきこともなき世を面白く すみなしものは心なりけり
〜余談〜
小学生の頃、高杉晋作に憧れて山口県までお墓参りに行ったことがあります。きっかけはるろうに剣心だった。やっぱりマンガが原動力。
今日は朝から次回作のネーム作成をしてました。近いうちに発表できるよう推敲しまくります!